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東京地方裁判所 昭和33年(ヨ)5303号 判決

申請人 落合甲子司 外一名

被申請人 国際タクシー株式会社

主文

被申請人が昭和三三年八月九日付で申請人落合甲子司に対し、同月六日付で同川端勇に対してした各解雇の意思表示の効力を停止する。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、申請人らの求める裁判

主文第一項と同旨。

第二、申請の理由

一、被申請人(以下「会社」という)は肩書地に本店を有し、都内に六営業所を設けてタクシー、ハイヤーにより旅客の運送事業を営む株式会社であり、申請人落合甲子司(以下「落合」という)は昭和三一年一一月二一日、同川端勇(以下「川端」という)は同年七月一二日にそれぞれ会社に入り、それ以来落合は目黒営業所の、川端は小石川営業所のタクシー運転手として勤務していたものである。

二、会社は、落合に対し「接客態度が悪い」という理由により昭和三三年八月九日付で解雇する旨、また川端に対し「会社の都合により本採用には不適格である」という理由により同月六日付で解雇する旨の各意思表示をした。

三、しかしながら、右各解雇の意思表示は、いずれも次の理由により無効である。

1  解雇権の濫用

(一) 落合について

落合は接客態度についての会社の指示命令に違反したことはない。接客態度が悪いということは就業規則に定められた解雇条項のいずれにも該当しないが、仮りに該当するとしても落合にはかような事実はないから、同人に対する解雇は右解雇事項によらないでなされたものである。

(二) 川端について

川端が入社に当り会社と締結した雇用契約は期間の定めのないものであつた。仮りにそうでなく試用期間の定めのあるものであつたとしても、雇用契約は就業規則第六条「新たに雇用する従業員は雇入後二ケ月を試みの期間とする」との規定により、入社後二ケ月の期間が満了した日の翌日である昭和三一年九月一二日以降期間の定めのないものとなつた。したがつて同人に対する解雇についても就業規則に定める解雇条項の適用があるべきところ、川端には解雇条項に該当するような事実はない。

2  不当労働行為

(一) 会社はハイヤー、タクシー、観光バス等により旅客運送、観光等の事業を営む申請外国際自動車株式会社(以下「国際自動車」という)とはその各本店の所在地、資本系統、経営陣等全く同一であり、また会社が国際自動車と同一の就業規則を従業員に適用しているところから、両社の従業員の労働条件もまた同一である。かようなわけで両社は実質的には全く同一の会社であつて、両社の従業員は相集つて労働組合を結成しているが、組合は三つに分れている。すなわち、国際自動車労働組合(組合員現在約六五〇名、関東旅客自動車労働組合同盟加盟、以下「第一組合」という)、国際自動車従業員労働組合(組合員現在約二五〇名、以下「第二組合」という)および国際タクシー労働組合(組合員現在約四五〇名、全東京交通運輸労働組合連合会加盟、以下「第三組合」という)の三つの組合が存在している。

(二) 申請人らの組合活動

(1) 落合は入社と同時に第三組合に加入し、昭和三二年三月には本部執行委員に、翌三三年三月には目黒支部副支部長に選任され熱心に組合活動に従事した。すなわち、

イ 落合は昭和三二年四月頃国際自動車中野営業所の第一組合本部執行委員浅沼桝三と知り合うようになつて以来、会社と国際自動車には前記三つの組合があることを知るとともに第三組合が多分に御用性を帯びたものであることに気付き、第一組合の浅沼らと協力して組合統一の準備に従事した。落合はまず第三組合の一般組合員に対し統一を呼びかけるとともに川端と協力して同組合の幹部役員から班長を排除すべきことを説得し、翌三三年四月役員改選に当り右説得が効を奏して三役を除くほとんどすべての役職から班長が排除されるや、その頃第一組合の中野支部支部長となつた前記浅沼を中心に、川端とともに第三組合の中野支部支部長小原、同河田町支部支部長福島らと会合を重ねて組合統一のための組織活動を続けた。そして同年五月二七日には中野支部に統一促進準備委員会が結成されるに至つた。落合、川端らは互いに緊密に連絡をとりながら統一活動に従事したが、翌六月六日には第三組合拡大中央委員会は組合を統一すべき旨機関決定をするに至り、同月一九日には第一、第三組合の拡大委員会で統一の条件が討議され、同年七月五日には両組合の本部役員が統一のための具体的条件を討議することとなつた。

ロ なお落合は昭和三二年四月頃自動車事故に基づく運転手負担金が各営業所、各運転手により異つていた点を追究して、これを統一的に処理するよう会社に働きかけて成果を得、翌年四月には下車勤務制度、水揚限度等の検討を同年度における第三組合の運動方針として取り上げさせてその運動に従事した。

(2) 川端は入社後間もなく第三組合に加入し、昭和三二年一一月中央委員に、翌三三年三月には小石川支部支部長に選任され熱心に組合活動に従事した。

すなわち、川端は昭和三二年中央委員となつて以後落合らと前記のとおり組合統一の準備活動を行つたほか、会社が就業規則を無視し多数の試採用者を長期間本採用にしないで放置していることを重視してその実態調査を行い、翌三三年支部長に選出されてからは、試採用者の本採用問題の解決を同年度における第三組合の運動方針として取り上げ会社と交渉して成果をおさめた。

(三) 国際自動車および会社の組合に対する態度

国際自動車は従前から組合活動を嫌悪し、支配介入、差別待遇を行い会社もこれに同調してきた。すなわち、

(1) 昭和二五年九月頃第一組合が国際自動車の企業分割に反対してストライキを行つたところ、同会社は争議終結と同時に組合活動を理由に、当時の書記長を含む組合活動家一九名の配置転換を行つた。

(2) 昭和二八年一二月一五日年末手当要求の争議中第二組合が結成された際、日本橋営業所において、第一組合員宮本金蔵ほか一名と第二組合員館野正治との間に暴行事件が発生したところ、同会社は争議解決の条件となつた双方一切責任を追究しない旨の協定を無視して一方的に右宮本ほか一名の解雇を行つた。

(3) 同会社は昭和二八年一二月頃第一組合に対する支配介入の結果第二組合を結成させ、同二九年三月頃には組合の弱体化を図るため、第一組合員を職制たる班長に抜擢し、次いで五月頃班長を中心とする第三組合を結成させた。

(4) その後も国際自動車および会社は事あるたびに第一組合員を差別待遇した。

(イ) 国際自動車は、昭和二九年第一組合中野支部長神宮寺栄一をメーター不倒の理由で、同三一年第一組合員野田等、北沢徳治をいずれも些細な事由で解雇した。一方第三組合員である中野某は昭和三二年八月、横谷喜多男は同年一二月、大友章は同三三年一月、小原利男は同年六月、館茂は同年一〇月いずれも故意にメーター不倒行為を行つたが解雇されなかつた。

(ロ) 国際自動車は前記浅沼に対し昭和三一年末から同三三年同人を解雇するまで、納金時に終始稼高が少いと言つて文句をつけ、また古い車ばかりを配車した。他方、第三組合員である小原利男、千崎繁は右浅沼に比し稼高が少くとも文句を言われず、また営業成績が悪く当然下車勤になるべき場合にも下車勤は命ぜられず、新車の代替期でもない時期に新車が配車された。

(5) その他国際自動車ないし会社側職制は、昭和三一年一月頃永井敏夫、同年夏頃板倉厳、同三三年四月頃園田堅二、佐藤義作、林鎮夫がいずれも第三組合から第一組合へ移ろうとした際、これらの者を呼び出しあるいは戸別訪問して思い止まるよう説得した。また、試採用中の大久保政一は第一組合に加入するおそれがあるとして一年六ケ月余も本採用とされなかつたし、第三組合員たる班長は常々第一組合員に対し一時も早く第三組合に移つた方が身のためだと働きかけていた。

(6) 昭和三三年六月二三日会社小石川営業所の小林班長は「申請人らは統一問題で人気とりをしているが、このままではすまさせない」と公言し、また同年七月一七日会社の長尾タクシー課長、作山小石川営業所長は川端に対し組合統一運動から手をひくよう説得した。

(7) かくして、両会社とも前記組合統一運動の結実をおそれ、まず国際自動車が昭和三三年六月二九日付でその中心的役割を果してきた前記浅沼を些細なことを理由に解雇したのに続いて、会社は、同年八月六日前記のとおり第三組合側における統一運動の中心的人物であつた川端を、同九日には同じく落合をいずれも些細なことを理由に次々と解雇したのである。

(四) 前記のとおり会社と国際自動車とは実質的には全く同一の会社であるから、申請人らの組合活動と右両会社の組合に対する態度を考慮すれば、本件解雇は申請人両名の統一運動その他の組合活動の故になされたものであり、かつまた同人らの解雇によつて組合の統一を妨害し、ひいては組合の弱体化を狙つたものであつて、不当労働行為であることが明らかである。

四、仮処分の必要性

本件解雇は以上のとおり無効であるから、申請人らは解雇無効確認賃金請求の訴を提起すべく準備中であるが、申請人らは会社から受ける賃金を唯一の生活の資としている労働者であるから、本案判決を待つていては回復し難い損害を被るおそれがある。

第三、答弁および反対主張

一、答弁

1  申請理由一の事実は認める。

2  同二の事実中各解雇の事実は認めるが、解雇理由は後記のとおりである。

3  同三の1の事実はすべて否認する。

4  同三の2の事実については、

(一)、(二)の事実中、国際自動車が会社のほとんど全株を所有していること、三つの労働組合が存在していること、申請人らの組合歴がその主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は争う。

(三)の事実中、(1)の第一組合が昭和二五年九月ストライキを行つたこと、(2)の申請人ら主張の日暴行事件が起つたこと、(3)の第三組合が結成されたこと、(4)(イ)の神宮寺および横谷にメーター不正の事実があつたこと、野田、北沢を解雇したこと、(5)の大久保を一年六ケ月余本採用しなかつたこと、(6)の長尾課長、作山所長が落合と面談したこと、(7)の各解雇の事実はいずれも認めるが、その余の事実は争う。

5  同四の仮処分の必要性があることは争う。

二、被申請人の主張

1  落合について

(一) 落合はタクシー業務に従事中、昭和三三年六月二七日午後九時頃国電恵比寿駅から飯久保健ほか二名の乗客を乗せて自由ケ丘に向う途中、下目黒四丁目付近で自動車が故障して乗客は下車を余儀なくされた。かような場合には、当然運賃を収受すべきでなく、いんぎんに理由を述べて乗客の了解を得べきであるのにかかわらず、落合は右乗客に対し粗暴な振舞いをし、かつ運賃を要求した。これに憤慨した乗客が東京陸運事務所に通報して注意方を要望したため会社の佐久間目黒営業所長は同事務所に呼び出されて厳重な戒告を受け、陳謝の始末書を提出せざるを得なくなり、会社は乗客ならびに監督官庁に対し著しく信用を失墜した。

(二) 落合は昭和三三年七月一五日知人の告別式に参列するため同日午後二時まで休暇を貰いたい旨虚偽の事実を申し向けて前記営業所長を欺き、当日は全然出勤しなかつた。同月一八日所長がこのことに関し質問したのに対して、同人は反抗して侮辱的暴言を吐き、著しく職場の秩序を紊した。

(三) 落合は、右(一)の行為について就業規則第七二条(懲戒解雇)第一項第一〇号「従業員としての本旨に悖り多大に会社の信用を失墜させた者」に該当するとともに、第七一条(出勤停止、減給、降等)第一項、第一〇号「顧客に対し不満を与え又は憤怒せしめた者」、第七二条第一項第一二号「前条各号に該当しその情状重い者」に該当し、右(二)の行為について第七一条第一項第六号「素行不良で職場の秩序、風紀を紊した者」、第七二条第一項第一二号に該当するので、懲戒解雇に処すべきところ、本人の将来をおもつてとくに同条第二項の諭旨解雇(懲戒解雇であるが、予告手当や退職金等を支給する)にしたものである。

2  川端について

(一) 川端は昭和三一年七月一二日就業規則第六条に定める試用期間二ケ月の試採用として会社に入つたが、健康、勤務状態、営業成績ともに不良であつた。本来であれば二ケ月で試採用をとりやめるべきところ、同人の利益のためにとくに健康回復、勤務状態の好転に望みを嘱して試採用期間を延長してきたのである。しかし川端は、昭和三三年二月七日から同年九月二一日まで結核のため入院して就業することができず、その後も依然健康不良、出欠常ならず、したがつて営業成績も著しくあがらない。そこで会社は同人が本採用に適しないので、第六条の試採用の趣旨に従い解雇したものである。

(二) 仮にそうでないとしても、従業員規則第九条(解雇基準)第一項第一号「精神若しくは身体に障害があるか、又は老衰虚弱其他疾病のため業務に堪えないと認めたとき」、第二号「技倆能率が著しく不良であつて上達の見込がないと認めたとき」、第四号「其他前各号に準ずる事由のあるとき」の規定により解雇されるべきものである。

第四、被申請人の主張に対する答弁

一、1の事実に対しては、(一)の事実中、落合が被申請人主張のとおりの日時場所において自動車故障のため乗客に途中下車を余儀なくさせたこと、かような場合運転手としては被申請人主張のとおり乗客の了解を得るのが当然であること、落合が運賃を請求したことは認めるが、その余の事実は争う。同(二)の事実中、落合が所長に対し侮辱的暴言を吐き著しく職場の秩序を乱したことは否認するが、その余の事実は認める。

二、2の事実中、川端が被申請人主張の日に入社し、その後一時結核のため療養し就業することができなかつたことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

第五、証拠関係〈省略〉

理由

一、会社がタクシー、ハイヤーにより旅客の運送事業を営む株式会社であり、落合は目黒営業所において、川端が小石川営業所においてそれぞれタクシー運転手として勤務していたこと、会社が落合に対しては昭和三三年八月九日付で、川端に対しては同月六日付で解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者に争いがない。そこで以下右各解雇の効力について判断する。

二、まず、落合および川端の組合活動について考察する。

1、落合および川端の組合における地位

落合が第三組合に加入し昭和三二年三月本部執行委員に、翌三三年三月目黒支部副支部長に選任されたこと、川端が同じく第三組合に加入し昭和三二年一一月中央委員に、翌三三年四月小石川支部支部長に選任されたことは、当事者間に争いがない。

2、組合統一活動

成立に争いのない甲第一五、第二二号証の各一、二の記載によつて真正に成立したと認められる甲第五号証の一ないし四、同第六号証の一ないし三、成立に争いのない甲第一二ないし第二二号証の各一、二、申請人本人落合甲子司(第一、二回)、同川端勇(第一、三回)の各尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。

第一組合は昭和二一年に結成され総評傘下の関東旅客自動車労働組合同盟に加盟していたが、昭和二八年一二月第一組合が期末斗争を行つたのを契機に国際自動車の会社側幹部は、事務員および修理工を主体とする新組合結成準備委員会に対して自動車の貸与、会社三階の室の使用その他印刷用紙等の提供など各種の援助を与える一方、第一組合員に対しては脱退を勧誘するなどの切崩しを行つた。かようにして第二組合が結成されたが、昭和二九年五月には更に第二組合を脱退した十数名の者が班長を中心とするタクシー運転手の第三組合が結成された。国際自動車は、右組合の結成に際しこれに加入する者に金銭を供与したり、また結成後も同組合に対し毎月多額の運営資金を支給していた。

このような第二、第三組合の御用性にいたく不満を感じていた第一組合員の間には、昭和三〇年頃から第一ないし第三組合はこれを統一して一箇の組合にすべきであるとの意見が高まり、翌三一年第一組合員である国際自動車中野営業所の浅沼桝三が統一を希望する組合員に推されて第一組合中野支部の支部長に選任され、同人を中心に組合統一運動が始められたが、同年中には見るべき成果は挙げられなかつた。しかし、翌三二年三月に至り第一組合は年次大会において組合統一の決議をしその旨文書で第二、第三組合に通知するなどして、漸次統一の話が進められて行つた。

落合は昭和三二年三月中央執行委員に選任されて間もなく、第三組合の幹部が事故負担金の問題に関し会社側に対し弱気であつたことを不満に思つていたところ、同年四、五月頃他の従業員とともに国会に対しガソリン税値上反対の陳情をした際前記浅沼を知り、同人と種々話合つた結果、会社および国際自動車の従業員の間には第三組合のほかに第一、第二組合が存在していることを知るとともに、第三組合が御用的な組合であることに気付き、組合統一の必要を痛感して統一運動に従事するようになつた。落合はその後第一組合の事務所に赴き第一組合から第三組合員に対して統一の申入れがなされていることを聞き協力を約したが、第三組合が話にのらないので、統一の前提として第一、第三組合はお互いに上部団体から脱退した上で更に具体的な統一条件につき話合うべきである旨第一組合の林執行委員長に申入れて同年八月頃第一組合執行委員会においてその旨決議させ、九月上旬には第一組合から第二、第三組合に対しお互いに上部団体を脱退して統一の話を進めようとの申入れをするように取りはからつた。

かようにして漸次統一の気運が盛上つてきたところ、会社側は九月中旬頃第三組合主催と称して河田町営業所に鍋山貞親を招き労働講座を開催し、河田町および目黒の各営業所の従業員を集め、所長みずから司会してこれらの者に対し、組合が分裂したのは已むを得ないことであり、今更統一は不可能であるから現状を維持するのが得策である旨の右鍋山の講演を聴かせた。かくして同年度も統一の話は余り進捗しなかつたが、落合および同年一一月中央委員に選任されて間もなく前記浅沼から組合統一の話を聞き統一運動に参加するようになつた川端は、統一障害の原因の一つは班長らが組合役員の大部分を占めていることにあると判断し、次年度において班長を組合役員の地位から排除すべく浅沼らと協力して種々裏面工作を行つた。

翌三三年になつて、組合役員改選が行われるに当り前記裏面工作が効を奏し、八、九分どおり班長らは役員の地位から排除され、また落合、川端、浅沼および第三組合河田町支部支部長福田らの活動もあつて、四月末頃から第三組合中野支部において順次拡大斗争委員会が開かれ統一問題が活発に討議されるようになり、五月二七日には第一、第三組合の中野支部に第一、第三組合員からそれぞれ選出された同数の委員からなる統一促進準備委員会が結成されるに至つた。しかして同日右委員会は、(一)第一、第三組合ともそれぞれ上部団体から脱退して対等の立場で話合うこと、(二)一企業一組合の原則に従い組合は単一組織とし職能の特殊性は機構の上で考慮すること、(三)各組合本部には組織統一に協力して貰うことの三項目を確認決定して第一、第三組合の各本部にその旨申入れるとともに、各組合中野支部の掲示板に統一促進準備委員会が結成された旨掲示し、また各支部の組合員に結成に関する趣意書を配布してその協力を求め、かくして統一運動は公然化した。

落合および川端はその後も引続き統一運動を強力におし進め、六月には第三組合の拡大斗争委員会において組合統一の緊急動議が全員賛成で可決され、いよいよ組合統一の気運が高まつて行つた。

3、その他の組合活動

(一)  落合本人尋問の結果(第一回)によれば、落合は昭和三二年四月頃自動車事故が発生した場合における運転手の負担金の問題につき、会社側の説明したところと現実の取扱いにくいちがいのある点を指摘して組合幹部に強力に働きかけ、その矛盾の解決を図つたばかりでなく、翌年四月目黒支部支部長に選任されてからは、下車勤制度は懲罰的であるとしてその廃止を同年度における運動方針とすべく支部提案として年次大会に上程可決させることに成功したことが認められる。

(二)  証人岡部松男の証言、川端本人尋問の結果(第一回)によれば、川端はかねて小石川営業所において多数の試採用者が試採用のまま長期のものは約二年間も放置され昭和三二年四月からは一名も本採用されていない状態を重視していたが、翌三三年四月支部長に選出されると直ちに試採用者の本採用問題を拡大中央委員会に持出して組合本部を動かし、本部役員とともに会社と交渉し、同年六月頃から七月にかけて六四名の試採用者を本採用にさせることに成功したことが認められる。

三、次に、被申請人主張の解雇理由について検討する。

1、落合について

(一)  被申請人主張の1、(一)の事実中、その主張の日時場所において落合の自動車が故障し、乗客が下車を余儀なくさせられたこと、落合が乗客に対し運賃を要求したことは当事者間に争いがなく、証人長尾林三郎、佐久間治郎の証言によつて真正に成立したと認められる乙第三号証の一ないし三、同証人らの証言に落合本人尋問の結果(第一回)の一部を総合すると、落合はライトが故障したのでヒユーズが切れたのではないかと点検したが二〇分程経つてもなおらず、乗客の飯久保らが他の自動車に乗換えようとしたのでメーターに表示された料金を請求したところ、飯久保は目的地まで到達していないからと支払を一応拒んだこと、そこで落合は相当高圧的な態度で、料金はいらないが名前を聞かしてくれと要求したところ、同人は結局料金を支払つたこと、その後飯久保から電話で本社に対し落合の態度について苦情の申出があつたので、目黒営業所長佐久間治郎は七月初頃上大崎に同人を尋ねて落合の非礼を謝したこと、しかし飯久保は更に七月四日付で東京都旅客自動車指導委員会に対し前記事実を投書して厳重な処置を求めるとともに監督行政庁にも右事実を報告するよう依頼し、その結果前記佐久間は東京陸運局に呼び出されて厳重な注意を受けたうえ始末書を提出させられた事実が認められる。

以上によれば落合は一応就業規則第七一条第一項第一〇号の「顧客に対し不満を与え又は憤怒せしめた者」(出勤停止、減給、降等処分の事由)に該当するものといえるけれども、落合本人尋問の結果(第一回)により成立の認められる甲第三号証、前記長尾証人の証言、落合本人の尋問の結果によれば、会社はかねて前記のような故障の場合には、乗客に一応料金の支払を求め、支払を拒まれたときはその氏名を尋ねるよう指導しており、落合も上記の場合仮にその態度や言葉使いに不穏当の点があつたにせよ一応その指導方針に従つて行動したことが窺われるのであつて、落合本人についてかような情状を確かめることなく、乗客の苦情だけから一方的に同第七二条第一項第一二号にいわゆる「その情状重い者」(懲戒解雇の事由)であると断ずるのは、軽卒のそしりを免れない。もつとも落合の右行動に起因して会社が監督行政庁から厳重注意を受けるまでに至つた経緯からすれば、同人は同規則第七二条第一項第一〇号の「従業員としての本旨に悖り多大に会社の信用を失墜させた者」(懲戒解雇の事由)に一応該当するものというを妨げないけれども、かような事犯の性質上、直ちに右規定を適用して懲戒解雇にふみきるかどうかについては情状のいかんを検討して慎重にこれを決するのが使用者として通常とるべき態度と考えられるところ、会社において落合本人につき、かような情状を確かめこれを検討考慮した形跡もないままに、直ちに解雇にふみきつたことについては些か性急の感を免れない。

(二)  被申請人主張の1、(二)の事実は、落合が佐久間所長に反抗して侮辱的暴言を吐き、著しく職場の秩序を紊した点を除き、当事者間に争いがなく、前記佐久間の証言によれば、昭和三三年七月一八日明番協力態勢研究会における協議が一応終了した際、佐久間所長は同研究会に出席していた落合に対し同月一五日の欠勤の届出理由である告別式のことを尋ねたところ、実は告別式は一六日であつたとの返答に不審を抱き、誰の告別式か、その場所は何処かと追究すると、落合は「佐久間さん、そんなことをつべこべ言われるとは人権蹂躙も甚しいじやないか」と食つてかかつたので、佐久間もきつとなつて「営業に関連があることを聞いているのに何が人権蹂躙だ」とやり返し、一瞬座が白けた事実が認められる。右落合の発言態度が職場の上司に対し節度を失したものであることは明らかであり、これを就業規則第七一条第一項第六号の「素行不良で職場の秩序、風紀を紊した者」(出勤停止、減給、降等処分の事由)として懲戒することの当否はともかくとして、落合本人尋問の結果(第一回)により認められる落合の前記欠勤の真の理由が妻との離婚話の処理のためであつたところから、同人としては研究会員七、八名が在席する面前では真実を告げかね、思わず語気荒く右のような返答をするに至つた事情をも考慮すると、同規則第七二条第一項第一二号の右懲戒条項に該当し「その情状重い者」ということは困難である。

2、川端について

(一)  まず会社と川端との間の雇用関係の性質について考えてみるに、就業規則第六条に「新たに雇用する従業員は雇入後二ケ月を試みの期間とする」との定めがあることは当事者間に争いがなく、川端の当初二ケ月の雇用関係が試用契約によるものであることは証人長尾林三郎の証言により明らかである。もつとも右規則の文言および試用制度の本旨からすれば、本来会社は新採用者につき従業員としての適格性を疑わせる事情ないし本人の許諾がない以上、所定の試用期間を一方的に延長更新することはできないものと解するのが相当であるが、右長尾の証言によれば、会社においては長年にわたつて単に会社の都合により新採用者の試用期間を随時延長していたが、新採用者もある程度やむを得ない措置として右会社の態度を甘受してきた事実が認められ、川端自身も本件解雇に至るまで会社の同人に対する試用期間延長の措置を右慣行によるものとして受け入れていたことは、長尾の証言、川端本人尋問の結果(第一回)によつてこれを窺うに十分であるから、川端は本件解雇当時なお試採用者の地位にあつたものと認めるのが相当である。

(二)  川端が被申請人主張のとおり昭和三二年二月七日から同年九月二一日まで結核のため就業することができなかつたことは当事者間に争いがない。前記長尾証人は川端は右病気で休む以前時々事故を起し、またその営業成績も標準に達しなかつたが、病後再び就業するようになつてからも、右結核の既往症のほか痔を患う等健康状態が思わしくなく、依然として事故を起し営業成績も悪く、出欠も常ならず勤務意欲に欠けていた旨述べているが、右供述は川端本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したと認める甲第四号証の一、二の記載ならびに右尋問の結果に対比して容易に信用できず、かえつて右証拠によれば、川端は前記結核で休む以前にはほとんど毎月無事故賞、月額賞等の報償的な賃金を加給されていて、勤務状態、営業成績ともむしろ良好であつたこと、病後再び就業するようになつてからは普通の乗務員と比較して営業成績が多少劣るようになつたけれども、これは同人が昭和三二年一一月中央委員に、引続き三三年三月に小石川支部支部長に選出された関係上組合事務が繁忙であつたことに起因するものであること、また健康状態については同年七月痔で約一週間休んだほかは病気で休んだことはなく、同年六月本採用のための健康診断を受けた時も別に異常な点はなかつたこと、更に事故については修繕費一五〇円から二〇〇円位の極く軽微な一般に事故としては取扱われない程度のものが三回あつたにすぎないことが認められる。なお、証人作山菊次郎の証言(第二回)により成立の認められる乙第七号証の一ないし三、同人の証言(第一、二回)によれば、同年四月から六月にかけてとくに出勤状況が悪く、四月には三日、五月は八日、六月は一四日と出勤日数は極めて少かつた事実が認められるが、川端本人尋問の結果(第一回)によると、これは川端が前記のとおり組合役員になり組合事務が繁忙であつたために三月頃からその専従が問題となつて組合本部と連絡して会社と交渉を重ねた結果五月になつて会社から専従としては認め難いが、いわゆるスペヤー運転手として半専従のかたちでの勤務が認められるようになつた事情に基づくものであつたことが認められる。

かように見てくると、川端が昭和三二年九月再び就業後営業成績が他に比して劣り、欠勤日数が増加するようになつたのは、同年一一月組合役員に選任されてから組合活動に熱を入れ組合事務に忙殺されたことがその主たる原因であつて、被申請人が主張するように健康状態が悪く、運転技倆が劣悪であり、その他勤労意欲に著しく欠ける等の理由から会社の従業員として他に比しとくに不適格と認められる点はなかつたものと認められる。

してみると、右認定のような川端が被申請人主張のような就業規則の解雇条項に該当しないことはもとより、同人が試採用者の地位にあるものとして仮りに右規則に定める解雇条項の直接適用を受けないものと解し得られるとしても、川端の成績低下、欠勤増が組合役員としてある程度やむを得ないことは会社も前認定のとおり了察していたことであり、長期にわたり試用を延長継続しながら、会社が前記時点を捉え敢て同人の解雇にふみ切るに至つたことについて首肯するに足りる合理的事由は認め難い。

四、そこで本件解雇の効力について考えてみるに、前記二において認定したように国際自動車および会社(証人町田清の証言によれば会社の株はすべて国際自動車がこれを所有し、役員は国際自動車の役員が兼任し、就業規則も全く同一であつて、会社と国際自動車とは実質的に全く同一であることが認められる。)が第二組合の結成にあたり各種の援助を与えるとともに第一組合の切崩しを行つたこと、第三組合に対し財政的援助を与えたこと、統一運動の進行中に労働講座を開催してこれを牽制する等の支配介入を行つたこと等、前記落合、川端が組合統一運動その他の組合活動を活発に行つたこと、あるいは川端本人尋問(第一回)の結果により認められる右統一運動の中心人物であつた浅沼が申請人らが解雇される少し前に些細な理由で解雇されている事実あるいは本社タクシー課長である前記長尾が川端を本社に呼び組合統一は間違いであるから断念すべき旨説得した事実等に解雇理由が極めて薄弱であること等を考慮すれば、本件解雇は会社が申請人らの組合活動を嫌悪し、これを企業から排除しようとしてなされたものと認めるのが相当である。したがつてその解雇の意思表示は労働組合法第七条第一号の不当労働行為として無効というべきである。

五、最後に仮処分の必要性について判断すると、落合、川端に対する解雇は一応無効であるから、同人らと会社との間には依然雇用関係が存続するものと言うべく、弁論の全趣旨によれば同人らが会社から受ける賃金を唯一の生活の資としていることは明らかで、他に収入を得ていることを認めるべき疎明はないから、申請人らは本案訴訟による救済を受けるまでの間雇用関係が存続しないものとして取扱われることによつて生活に窮し回復し難い損害を被るおそれがあると言えるから、本件仮処分はいずれもその必要性がある。

六、以上のとおりであるから、申請人らの本件申請は理由があるから相当として認容することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 橘喬 吉田良正 三枝信義)

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